日々は回る。

ただ淡々とその姿を変え、うつろう。

人は毎日同じような営みを繰り返すしかない。



そんな日常が、続くと信じていた-----。



 退屈な、日常へ 

 〜Buth Note〜



起きたての耳に、終業のチャイムと生徒の騒ぐ声が響いた。彼には珍しく、授業の途中で寝てしまっていた。

全国で有数の進学校に通う彼は、全国模試で1位を取るほどの頭脳を持ち、 類まれな容姿と人受けのいい性格を備える、「天才」と呼ばれるにふさわしい人物だ。

しかし、勉強一筋というわけではなく、こうして授業中に寝ることもしばしばあった。 しかし教師達は優秀な成績の彼を咎めることは出来ず、半ば放置状態だ。


あまりにも不自由がなく、何事も完璧にこなす彼にとって、この世界はあまりにも退屈だった。


「カイト〜 もう授業終わっちゃったよっ」

と言いながら関水香織が軽快な足取りで近づいてきた。

彼女はカイトの幼馴染のようなもので、小・中・高とずっと一緒に進学してきている才女でもある。

「ん〜、やっと終わったか。あとでノート見せてくれ」
 
ふぅ、と溜息をつきながら香織が右手に持っていたノートを渡してきた。
 
「どうせいつものことだからと思って。汚さないでよ?」
 
「わかってるよ。しかし梁瀬先生の授業はいつ聞いても耐えられないな。あそこまでいくとセクハラだろ」
 
「確かに。顔近かった〜」
 
「よくみんな笑わないな」
 
「いいかげんカイトも慣れないと、また変な問題出されるよ?」
 
「解けばいいんだよ解けば。あんな問題、IQテストと一緒だよ」
 
「天才さんはいいですね〜、なんでも出来て。どうせ私は凡人ですよ〜だ」


そんな他愛もない会話を繰り返すうちに、再びチャイムが鳴り、授業が始まる。

午後の最後の授業にもかかわらず、やたら元気な岡安先生の授業をうけているうちに、カイトはまた眠気に襲われてきたので、窓の外の景色で醒まそうと、頬杖をつきながら校庭の殺風景な様子を見ていた。

気の抜けた目で外を眺めていた視界が、徐々に暗くなっていく--------。

しかし、カイトがそのまま寝てしまうことはなかった。

カイトが偶然見ていた場所に、宙から湧き出るように小さな黒い何かが出現したのだ。


それが、すべての始まりだった。


ホームルームが終わった直後、カイトは校庭へ小走りに向かっていた。

視界に飛び込んできた信じられない光景のせいで、その後授業を受けるどころか、寝ることさえ出来ず、そのことが頭から離れなかったので、運動部が使い始める前に確認にきたのである。

容姿に恵まれ、いつもは冷静なカイトは、異性から非常に人気があった。

そのカイトが珍しくあわてている様子を見て、とおりすがる女子は口々に想像をめぐらせていたが、今のカイトにはそんなことはどうでもよかった。


少し汗をかいてきたので、歩くことにした。風が少し吹いてきたようだ。

キョロキョロと校庭を見回しながら、カイトは校庭を歩き始めた。



--------それは、校庭の中心にあった。



「あれは・・・・ノートか?」

期待を裏切られたカイトは、落胆しながらうつむいた。

「はぁ、なにやってんだろ俺・・・」

「しかし、なんでこんなところにノートが?」

カイトはそのノートが出現した瞬間を思い出していた。そもそも、なぜ、いきなりこのノートが現れたのか。

-------そこでカイトはある違和感に見舞われた。

その瞬間、校庭に突風が吹いた。校庭中の土が舞い上がり、カイトの視界を埋め尽くしていく------

そして、違和感は確信に変わった。

そのノートは微動だにしていなかった。出現した時から位置も変化していない。

「なんだ・・・・あれ・・・・・・」

カイトは詰まったような声を上げ、必死に思考を遡った。

そのノートは、位置だけでなく突風が吹きあれる中ページすらめくれていない。


いや、汚れひとつ付いていない。


漆喰のような、人を惹きつける魅力を持った黒いノートだった。


カイトはそのノートをおもむろに拾い上げ、自分の鞄にしまい、帰路へ付くために歩き出した。




最寄り駅のホームは、帰宅する生徒であふれかえっていた。

カイトが定期を使い、流れるように改札を抜けると、待ち構えていた女子達がワラワラと寄ってきた。

しかし、カイトはその包囲網をするりと抜け、混雑しているホームへ向かった。

後ろのほうで舌打ちが聞こえた気がしたが、カイトは進んでいった。

カイトが進む先には、香織が携帯を見ながら電車を待っていた。

「よっ!!香織。」
 
香織はまったく気がついていなかったのだろう。肩を少し弾ませて、それからゆっくりカイトのほうへ向いた。

「なんだ、かきうちじゃん。驚かさないでよ!!」
 
「だからカイトだって・・・・って何回やらせるんだよ。」
 
実を言うとカイトの名前は垣内と書いてカイトと読む。珍しい読み方のため、よく「かきうち」と呼ばれ遊ばれるが、正直対応するのに疲れた。

ちなみに、初対面の人には99%「かきうち」と読まれる。まぁ当たり前か。

「ごめんごめん。でも、たまにからかうとカイトって面白いよね〜」
 
まったく申し訳なくなさそうにニヤニヤしながら香織がカイトの顔を覗き込んできた。

「なんか今日のカイトご機嫌だね。なにかあったの?」
 
「いや、いつもどおりの日常を過ごさせてもらってます。はい。」
 
と、流れで返事を返しながらも、カイトは微笑がとまらなかった。

(久しぶりに興味が持てるものを見つけたしな。退屈しのぎになるかな。)

「なんかニヤニヤしてる・・・カイト気持ち悪い・・・・」
 
「・・・・・・はっ!!いや、なんでもないない。ははは。」
 
「まぁ、いいや。よくないけど。」
 
「どっちだよ!!!!!!!!!!」
 
「どっちも」
 
「なんだそりゃ」
 
そのとき、電車到着を知らせるアナウンスが流れた。

駅の雑多はさらにひどくなっていて、そのアナウンスすら、微かに聞こえる程だった。

やがて、電車が滑り込むように到着して、学生車両の中になだれ込む。

カイトと香織が住む町まで30分程なので、普段の電車ならそれほど遠くには感じられないが、この混雑の中、バランスを取りながらの30分は、果てしない長さに感じられる。


やっとのことで町の駅に着いたときは、香織は亡霊のように疲れた足取りになっていた。

「なんであの電車はあんなにも揺れるんだろう・・・・。カイトがいなかったら、 たぶんまたコケてたわ・・・。」
 
「あれって電車の進行方向45度に向いてるといいらしいぞ?前後左右すべてに均等に対応できるらしい。」
 
「それ、あたしにとっては前後左右全部危険方向になるよ・・・・。はぁ、なんでこんなに バランス感覚だけは悪いんだろうな〜。なんでカイトはあんな状況でバランスとってられるのよ?」
 
「ふふふ。それはな、

 ・・・・気合だ。」


ボカッ


次の瞬間、カイトのみぞおちに鋭い拳が叩き込まれた。

「グフッ」
 
「ふんっ。私の苦労も知らないで。よくもそんなことを言えるね。」

「ゴホッゴホッ。クッ・・。あのな〜、だからってみぞおちを的確に沈める女子高生がいるか?」
 
「何?まだ食らい足りないの?」
 
春の息吹も枯れるような冷ややかな声だった。 

「す、すいませんでした。」

「ふむ、よろしい。」

「まったく、自分から尋ねてきたのに、こいつは・・・・」


ポキポキッっと間接を鳴らす音が聞こえた。



その後、閑静な住宅街に悲痛な叫びが響き渡ったのは言うまでもない。



「カイト〜 じゃあね〜。」
 
生き生きとした表情で香織とわかれ、自分の家へ歩を進める。


唐突に、先ほどのノートのことが気になり、カイトは鞄からノートを取り出した。

「・・ブス・・・ノート・・? なんだこれ。いたずらの類だったのか?」
 
何度かめの半信半疑の気持ちを抑え、カイトはその異常に硬い1ページ目をめくった。

すると、表紙の裏に、英語で文字が書いてあった。

「How to use ・・・・使い方??ノートの使い方なんて小学生でも知ってるだろ。 おっと、いけね。」
 
あやうくカイトは自宅を通り過ぎるところだった。

カイトはその洋風の手入れの行き届いた門を抜け、南国風の植物が飾ってある玄関へと向かい、 ドアを開けようとした。

ガチャガチャ

「ん?母さんいないのか」
 
非常用のカギというのは、どこの家でも必ず外のどこかにある。

カイトの家の場合、玄関横の植物の鉢の裏・・・・・・と、思わせておいて、実はそのカギの設置場所についている指紋認証センサーだったりする。

軽快な音が鳴り、ドアが開いた-------と思ったら、それはドアの横についている網膜認証のロック解除のためであり、 カイトはそこのいかにも体に悪そうな赤いレーザーを見つめる。


カチャ


「ふぅ、まったくこのセキュリティの固さにはあきれるな。いったい誰が侵入してくるっていうんだよ・・・・」

ようやく玄関に入れたカイトはそのまま自分の部屋に向かった。そしてイスに倒れこむように座ると、机の横のテレビのスイッチを入れ、ノートを再び開いた。

「なになに、使い方・・・・。ブスノートに名前に名前を書いたものは・・・・ブスに・・・なる? ぷっ、はははははははははははは。なんだこれ!!名前のまんまじゃないか!!!!!!!!!」
 
カイトの笑い声に反応したかのごとく、傍らのテレビでも笑い声が起こる。

どうやら、ホストの口説き方というコーナーのようだ。10人弱のイケメンホスト達が、女性の口説き方を指南している映像が映し出される。

横目でテレビを見ていたカイトはおもむろにペンを引き出しから取り出した。

「ははっ。どうせならこいつらの名前でも書いとくか〜。はぁ、なにを期待してたんだろ俺・・・。」

書き終わった後、半ば投げ捨てるように床の上に放り、いつものように参考書を広げた。




5日後


この日、カイトの学校は創立記念日なため、カイトは10時近くまで寝ていた。

一晩中同じ体制で寝ていたために、体のいたるところが軋みを上げていた。

「つつつつつ、あ〜今日はなにすっかなぁ〜」
 
と、カイトは大きく背伸びをし、リモコンでテレビを付けた。

平穏な朝が、一瞬にして打ち破られることとなった。

「今、〇〇病院の前から中継しております。5日前、午後の番組に出演したホスト12名が、 ほぼ同時刻、体の異変を訴え、病院に搬送された模様です!!!」


眠気が一瞬にして醒めた。


「新情報です。彼らの症状は原因不明の症状で、顔が突然変形しだすという、大変に奇妙な状況のようです。バイオテロなのでしょうか?続報をお待ちください!!」

カイトは布団を跳ね除け、床に放り投げてあったノートを手に取り、中をもう一度確認した。

「・・・ブスノートにブス因が書かれなかった場合、名前を書かれた者は5日後に2時間かけて顔が変形し、ブスになる?経過時間もぴったりじゃないか・・・・・・うあああああああああああああぁ」

カイトは急にノートが恐ろしくなり、ノートを壁にたたき付けた。

「し、信じろっていうのか!!なんなんだよこれは!!!お、俺のせいじゃないぞ!!!! こんなこと、あるわけがないっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「なんなんだよ、だと?そこに書いてあるじゃねぇか。それはブスノートだ。」


しゃがれた声が響いた。


窓の、上、から。


「うぁあああああああああ。なんなんだお前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 」
 
そこにいたのは、奇妙な生物だった。全身黒尽くめ大男のような体躯で、肌の色は黒くくすんで、おおよそ健全とは言いがたい色をしている。目玉が異常に出ていて、唇の色は紫。

ここまでなら、まだ人間と言い張ることは出来たかもしれない。だが、その生物は、コウモリのような形の大きい翼で、宙に、浮かんでいた。

「俺はデーブ。ブス神だ。そのブスノートはもともと俺のものだ。」
 
そこでカイトのパニックは頂点に達した。

「ぶ、ブス神、だと?だ、誰かぁ!!!来てくれぇ!!!!!!!」
 
「無駄だ。俺の姿はお前にしか見えない。ブスノートに触れた、お前だけしか、な。」
 
「な、なにを言ってるんだ・・・。ブス神、だと?なんだ?僕の顔でも汚しにきたのか?フフフ・・・。」
 
感情が一定を超えると吹っ切れる、とはよく言ったものだ。現実的ではなさ過ぎる事態に、カイトの頭は逆に冷静さを取り戻しつつあった。 

「違う。俺はお前に何もしない。俺はただ見てるだけだ。」

「は?」 

「だから、お前がそのブスノートを使うのを見てるだけって言ってんだ。」

「な、なんのためにだ。」

「ん〜、なんのためっていわれてもなぁ、ヒマだったから、としか言い様がねぇな。ブス神界ってな〜んもすることがねぇんだよ。」

「ふざけるな!!!!! ヒマだったから?このノートを俺に使えって?こんなノート、絶対つかわない!!!!!!!!!!!!!!」

「ふぅ、しょうがねぇなぁ。まぁお前が使わない、と言うんなら俺は消えてやる。だがな、これだけは 覚えておけ。お前は、そのノートを欲する時が必ず来る。その時は俺も、また現れる。」

「ふざけんな!!!!!失せろ!!!!!!!!!さっさとどっかいけ!!!!!!!!」

「はいはい。またな、相棒。」

その言葉を残して、ブス神は姿を消した。

「相棒、だと?なんだよ、それ・・・・・。」


怒涛の時間が流れた部屋は、一転、恐ろしいくらいに静かになっていた。


カイトが暴れたために、部屋は荒れ、参考書が床にばら撒かれていた。

無言でそれを拾いあげ、元あったところに戻すと、何事もなかったかのように、カイトはベッドに潜り込んだ。

「これは、夢、だな。いい加減目を覚まそう。」

しかし、そんな精神状態で寝れるはずもなく、ただ虚しい時が過ぎていった。

静寂を打ち破ったのは、耳元で鳴った携帯の着信音だった。

ビクッ!!!とカイトは反応し、現実逃避するため、毛布を頭から被った。

30秒ほど経ち、ゆるゆると思考を取り戻したカイトは、その着信音が香織からのものであることに気が付いた。


ピッ

「もしもし〜。カイト、起きてる〜?」

その声を聴いた瞬間、カイトの緊張が一気に緩んだ。

「あ、ああ。うん。どうした?」

「大丈夫?声、なんか震えてるよ?」

「平気・・・。なんでもないから。」

「ふ〜ん。ま、いっか。んでさ、今日買い物付き合ってくれない?どうせ暇なんでしょ?」

非常な体験をした直後のカイトは、人に近くにいてほしかった。

「別に、いい、けど。」

「じゃあ2時に駅ね!!!じゃあね〜」

耳に、通話が終わった音がむなしく響いていた。


それからの4時間は永遠のように長く、カイトをさらに疲弊させるにふさわしい時間の長さだった。


時間どおりに待ち合わせ場所に着くと、そこにはすでに香織が待っていた。

「カイト〜 遅〜い」

「お前が早すぎるんだ。待ち合わせの時間ジャストだろ。」

「レディを待たせるな!!!!!これ鉄則だよ!!! 」

「ん?どこにレディがいるって?」


ゲシッ


今日の1発目は、ローキックだった。